命は「好き」 「嫌い」ではありません
猫の郵便のことは はじめにをご覧ください。
昨日、安倍首相がオバマ大米統領と会談したというニュースのなかで、安倍首相の英語のスピーチが流れていました。それを聞いていた猫の郵便の J 君とLiam君は
「あ~、この人英語出来ないんだ。」
「でも、留学したんですよね。チャンスはいっぱいあったのに・・・」
「ばかなんですね。」 と笑っていました。
何か自分のこと言われてるみたいですけれど、首相は日本のリーダーでは?
まともな動愛法ひとつ出来ない官僚天国のこの国ですから、誰がひな壇に載っていようがカンケイないと言えば言えます、けれど・・・
当ブログ 2月15日記事で、マルコ・ブルーノさんからいただいたメールを掲載しました。
マルコ・ブルーノさんの文中には、猫殺害事件の情報だけではなく、日本の動物が置かれている困難な事情が書かれていました。
それは、自分たちがしてきた体験でもあり、本当にその通り!とうなづくことばかりですが、その中で日本人が犬や猫に 「好き・嫌い」で接していることが指摘されています。
猫を飼う時は「猫が好き」で飼うのだと思います。
しかし、猫を飼い始めたのであれば、命への責任が生じます。
扱っているのは「いのち」ですから、守らなければいけない「命の倫理」があります。
「好き・嫌い」で接することはできません。
猫の保護活動をする人たちの中にも
「われわれ猫好きは・・・」と活動の理由を「好きだから」とする人たちと出会い、びっくりして腰を抜かしそうになったことがあります。
「好き」という感情は、何時でも「嫌い」という感情に変化します。
そういう感情のレベルで犬猫に接してはいけないのです。
「いのちあるもの」に好き嫌いで接してはいけない。
このことを書こうとして、数日間考えていましたが言葉が見つかりませんでした。
猫の保護活動をしていると、「好きなんですね。」と、接する人片っぱしからそう言われます。
猫が好きだから保護活動をしているのではなく、守るべき「いのち」だから活動をしています
物事を好き嫌いでしか判断出来ない人たちに、どう説明したら良いのでしょう。
言葉が見つかりません。
あなたは自分の命が好きですか?嫌いですか?
好き嫌いではなく、たいせつなものですよねえ。
動物たちに取っても、いのちは同じくたいせつなものです。
と言っても理解してもらえるかどうか・・・
皆さんなら、どう説明なさいますか。(鉄腕ウンガ)
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以下、マルコさんのメール抜粋
この「長年のボランティア活動の中、以前から私が不思議に感じたのは、猫が嫌いな日本人が驚くほど多いこと。
犬が好き、でも猫は嫌い。猫は好きだけど犬はイヤだ。
一般論だけでなく、動物愛護団体の中にもこのような理解に苦しむ考えた方をもつ人たたいがいる。
大切な命だから、好き嫌いという発想は論外だ。
とくに動物の救済にかかわる人でしたら、このような考え方では恥ずかしい。」
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