だいぶ温かくなってきました。
幾つかの保護活動場所では、寒い間はきれいに食べられていた猫さん弁当が残るようになってきました。
猫をかまって遊ぶ「猫好き」の人たちが陽気が良くなるともに出て来て、猫たちにフードを与えているためです。それが証拠に休日、連休前の金曜日や雨や悪天候の日には弁当はきれいになくなります。
こんな他愛もないように見える行いが、猫たちの健康管理の大敵となっています。
猫がフードをもらったから食べないのか、体調が悪くて食べないのか、判断できず、健康状態を把握できないからです。
けれども、当人は「少しだけ」だから良いでしょ。」と言う。
しかし、「少しだけ」の人は何人もいて、何人もの人たちの無責任な行ないの償いは当の猫と保護に当たる私たちがさせられています。
そして、猫をかまい人慣れさせることは、虐待に遭うリスクを高めるひじょうに危険な行為です。
ちょっと頭を使えば、分かることなので理解してもらいたいです。
例えば、首を切られ大怪我を負い、室内保護した「蘭の花」は人慣れした猫でした。
保護した翌年から難治性口内炎になやまされ、挙句に消化管の腫瘍で亡くなりました。
外にいた時、気のいい蘭の花は、地べたに焼魚・レンガに黒缶・カニカマなどなど、連日のように与えられていました。
私は現場に遭遇した時は、止めてくれるようお願いしましたが、誰も止めてくれませんでした。場所が変わっただけだったりしました。
毎日、この状態を見ては、「健康が毎日、毎日、蝕まれてる!」とジリジリした思いをいつもしていました。
もし、蘭の花が管理された猫のフードだけを食べていたら、今でも生きていたのではないか。という思いを禁じ得ないでのです。「あの人たちが寿命を縮めたんだろうなあ」と・・・
自分のひいきの猫をかまっている人たちは、
「外の猫は誰のものでもないから自分の好きなようにして良い」と思っていませんか。
最期まで責任を持つ意志のもと、保護活動をしている人がいるのであれば、その人が管理者だし、少なくても、「あなた」の好きなようにできる「あなた」のものではありません。
もし、その猫に関わりたいなら、
・最期まで世話をする・外での暮らしが困難な状況になったら室内に入れる
その覚悟の上で、「いのち」に責任を持ってやってください。
それが出来ないなら、「陰からそっと見守る切ない恋」に徹したら良いのではないですか。
どうしても好きな猫をかまいたい・・・
それならば、猫たちのためにお互いに協働すれば良いといつも思っていますが、
「そこまでは・・・」と顔の前で手をひらひらさせて、逃げていく・・・
そういう人がほとんどでした。
自分に好きなことをやることだけに邁進する人たち、地域猫の生みの親=黒澤泰先生がいうところの「本能的えさやり」ですね。
「自分の愛」は猫たちの「命取り」になっている。って
ちょっと、引いて考えてみれば分かることなので、一度考えてみてもらいたいのです。
2014/12/21Nちゃん 2015/3/21Hさん Missing 鉄腕ウンガ